神田祭の歴史や神輿の数、掛け声が「セイヤ!」の理由

神田祭の歴史や神輿の数、掛け声が「セイヤ!」の理由

天下祭とも呼ばれる日本三大祭のひとつ、神田祭。たくさんの神輿を、たくさんの担ぎ手が「セイヤ、セイヤ!」と掛け声をかけながら練り歩く様は、すごく迫力がありますよね。
今回は神田祭について、歴史や神輿の数、掛け声が「ワッショイ」ではなく「セイヤ」の理由をご紹介していきます。

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日本三大祭、神田祭の歴史

神田祭は、江戸時代から盛んに行われている神田明神の祭りで、江戸三大祭、日本三大祭のひとつに数えられる盛大な祭りです。江戸幕府の庇護のもと江戸城内を練り歩き、将軍などの上覧もあったことから、「天下祭」とも呼ばれています。

神田祭が盛大に行われるようになったのは江戸時代からですが、祭りそのものはそれ以前からあったようです。明治時代、大正時代になると、それまで出されていた山車がほとんど出されなくなり、神輿中心の渡御祭へと変わっていきました。渡御祭は神幸祭と名を変え、現在まで続いています。

一度は消えてしまった山車ですが、平成に入ってから、また山車が出されるようになりました。また最近では、インターネットで祭りの映像を生配信するなど、新たな試みも行われています。

神田祭は、古くから山王祭と交互に開催されており、2年に一度、奇数年に行われる祭りでした。しかし、2004年から本来開催されない偶数年にも蔭祭が行われるようになり、現在は奇数年には本祭、偶数年には本祭よりも規模の小さい蔭祭と、毎年祭りが開催されています。

2015年には神田明神の鎮座400年を記念し、より盛大に祭りが行われました。新たな取り組みとして、人気アニメ「ラブライブ!」とのコラボも行われ、400年という節目にふさわしい賑わいとなりました。

神田祭の神輿の数は?

神田祭のメインイベントとも言える、神輿宮入。いくつもの神輿が朝から夕方まで、次々に宮入参拝するところは、非常に見応えがあります。大小様々な神輿がありますが、一体何基の神輿があるのか、気になりますよね。

その年によって数の変動があるようですが、宮入参拝する神輿は約100基、宮入しないものも含めると約200基にもなるそうです。

神幸祭では、3基の鳳輦を中心とした山車などを含む祭礼行列が、氏子108町(神田、日本橋、大手町、丸の内、秋葉原)を、1日かけて巡り歩きます。

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神輿の掛け声が「ワッショイ」ではなく「セイヤ」の理由

神輿を担ぐときの掛け声と言えば「ワッショイ」が思い浮かぶ方が多いかと思います。

しかし、神田祭での掛け声は「セイヤ」や「ソイヤ」です。なぜこのように違う掛け声になるのかというと、神輿の担ぎ方の種類が違っているためです。担ぎ方には数種類あり、それぞれの種類によって歩き方や掛け声も様々になっています。

神田祭では、関東地方で多く使われている「江戸前担ぎ」という担ぎ方をします。江戸前担ぎでは、「セイヤ」「ソイヤ」のほかに、「ウリ」「フリ」といった掛け声もあるようです。神輿を担ぐときには、つま先で立つようにし、腰でリズムを取って歩きます。

「ワッショイ」という掛け声を使うのは「わっしょい担ぎ」という担ぎ方のときで、膝を曲げ、神輿を下げてから勢い良く上に持ち上げるようにしながら歩きます。

このほかにも、「どっこい担ぎ」や「千鳥担ぎ」、「カニ担ぎ」、「横田担ぎ」など、様々な担ぎ方があります。
どの担ぎ方にも歩き方や掛け声に特徴がありますので、その違いを知っていると、さらに祭りが楽しめるかもしれませんね。

(神田祭 掛け声確認映像)

まとめ

神田祭は近年では、山車などを復活させ、さらなる盛り上がりを見せています。また、インターネット配信やアニメ作品とのコラボなど、これまでになかった取り組みも興味深いですよね。

生で見る迫力に勝るものはありませんが、インターネット配信でも十分に熱気が伝わってきますので、足を運べない方はぜひ配信をご覧になってみてください。

以上、「神田祭の歴史や神輿の数、掛け声が「セイヤ!」の理由」でした。