七夕の由来の子供向け解説 そうめんを食べるしきたりって?

7月7日と言えば、七夕ですね。そう言えば、七夕ってどういう由来があって、笹竹に願い事を書いた短冊をつけるのでしょう?織姫と彦星の話しとどういう関係があるのでしょう?なぜ昔から七夕をやるのかうまく説明できる人って実は少ないのではないでしょうか。もしも子供から聞かれたとしても、さっと答えられるようにしておくとアラフォーパパとしてのポイントも上がりますね。
今回は七夕の由来を子供向けに簡単にわかるよう解説にしていきたいと思います。また、七夕にはそうめんを食べるという変わったしきたりがあるようなので行われている地域などの情報も調べてみました。
【スポンサードリンク】
七夕の由来を子供向けに簡単に解説
七夕は五節句(ごせっく)の一つで、別名「笹の節句」とも呼ばれます。旧暦の7月7日にあたります。新暦だと8月7日頃なので、地域によってはお盆の頃に七夕のお祭りなどをおこなうところもあります。
ちなみに五節句は、
1月7日:人日(じんじつ)、別名「七草の節句」で七草粥を食べる風習
3月3日:上巳(じょうし)、別名「桃の節供」で女の子の日。ひな祭りですね。
5月5日:端午(たんご)、別名「端午の節句」で男の子の日です。こどもの日ですね。
7月7日:七夕(しちせき)、正式にはたなばたではなく、しちせきと読みます。
9月9日:重陽(ちょうよう)、別名「菊の節句」、菊の花を浮かべたお酒などを飲みます。
という5つの節句を節目として設けています。
さて、七夕の由来ですが、2つの物語が組み合わさって現在の七夕の形になったようです。
1つは中国のお話しで、夫婦であった牽牛(けんぎゅう)と織女(おりひめ)が神の機嫌を損ね、引き離されてしまい、一年に一度、7月7日の夜に天の川にかかる橋で会うことを許されたという織姫と彦星の話しです。この話しから、織女をお祀りして裁縫が上達するように祈る、「乞巧奠(きこうでん)」という行事が行われるようになりました。
もう1つは平安時代、日本で「棚機女(たなばたつめ)」(神衣を織る巫女)が災厄を祓ってもらうため、水辺で神の衣を織り、神の降臨を待つ巫女の伝説がありました。この儀式を7月7日頃にやっていたので、中国の行事と日本の行事が組み合わせって、現在の七夕の形になったと言われています。
短冊に願い事を書いて飾るようになったのは江戸時代からと言われていて、中国の話しから裁縫が上達する願いと日本の話しの災厄を除く願いという2つともお願いをするという行為から七夕には短冊に願いを書くという形が定着したと言われいます。
また江戸時代に寺子屋で習字の練習をする目的から短冊に願いを書いたという話もあり、これが多くの寺子屋で流行ったことから笹飾りに短冊をつるすようになったとも言われています。
子供向けに簡単にまとめるとこうです。
七夕は2つの話しが合体したもので、織姫さんと彦星さんは中国から伝わった話しで、神様を怒らせた織姫と彦星夫婦が年に一度だけ会うのを許されました。この話から織姫のように裁縫のうまくなるよう祈る行事が行われるようになりました。
もうひとつは7月7日に神様に災厄をお祓いしてもらうため、棚機女(たなばたつめ)という女の人が水辺で神様の服を作り、神様がやってくるのを待ったというお話しの組み合わせです。
どちらもお願い事をすることと江戸時代の昔、学校で習字の練習と上達を発表するため、短冊にお願い事を書いて飾る風習が起きたのです。
【スポンサードリンク】
そうめんを食べるなど様々なしきたり
さて、この七夕ですが、地域によって様々なしきたりや風習が残っています。
【七夕の日にそうめんを食べる】
七夕の日にそうめんを食べる風習が東北地方の一部地域に残っているそうです。最近では節分の恵方巻きのように少しずつ全国に広まってきているようです。七夕にそうめんを食べる説はいくつかあります。
・そうめんを天の川に見立てて
・そうめんを着物の織り糸に見立てて
・中国では7月7日の「乞巧奠」に「索餅(さくべい)」という小麦で作った料理を食べるが、これが日本に伝わり、そうめんに代わっていった
といった説からそうめんを食べるのだそうです。
【髪や体、子供や馬や牛を洗う】
これは身を清めるための儀式なのだそうです。七夕はお盆前の行事なので、お盆を迎えるにあたって、身を清めて先祖を迎える準備をするという意味があるそうです。
【短冊をつるした笹竹を川に流す】
七夕祭りの翌日、祭りに使った笹竹や飾りなどを川や海に流す「七夕送り」、「七夕流し」という行事を行う地域もあります。
地域によっては七夕の捉え方が微妙に違うので、このような様々な風習が残っているようです。
以上、七夕の由来の子供向け解説 そうめんを食べるしきたりって?でした。
【スポンサードリンク】